第一話 大阪フリーター時代

大阪のとあるネジ工場。

朝から晩まで油まみれでネジを作り続けている。

その工場で流れていたラジオ「FM802」のその月のヘビーローテーション。

エレファントカシマシの「四月の風」。

今でもその曲を聴くと鮮明にあの頃が蘇る。

あの暗い帰り道。

油の臭いが染みついた体でこいでいた自転車を止めて空を見上げた。

「俺は一体どこに行くんだろう」

見えない明日を探すかの様にいつまでも空を見上げていたあの頃・・・

大阪の某大学を卒業し化学メーカーの営業マンとして就職した志士。
そう言えば聞こえは良いが、実際のところはそんなにいいものでもない。
志士は根っからの文系であり理数系は壊滅的に苦手だったし、超人見知りなので人と接するのが苦手だ。
だから化学メーカーの営業マンなんて一番向いていない仕事だった。
しかし当時はまだ自分の適性なんてわかっていなかったので特に何も考えずにその会社に入った。
この「自分の適性が分かっていない」ということが後々まで自分を苦しめることになるのだけども・・

その会社は良い会社だったし社員の皆さんにも可愛がって頂いた。
傍から見れば辞める理由なんて無かっただろうけど、3年持たずに辞めた。
最後は鬱の様な状態だった。
その頃は自分でも何故そうなったのかは分かっていなかったけど。

会社を辞めてプータローになってからしばらくはどうしたらいいのかも分からず過ごしていたが、漠然と「何か自分で商売がしたい」という思いが湧いてきた。
とは言えその時の自分には全く何も無かったので「とりあえずお金を貯めよう」という考えに落ち着いた。
今から見ると「何をやっていいか分からないからお金を貯めよう」なんて物の考え方の順序がおかしいだろと説教したくなるが、当時の自分ではそんなものだろうと思う。

それからは色々な仕事をやった。
居酒屋のホール、運送業、引っ越し屋、工場等々・・変わったところでは焼き芋を軽トラで売って回ったりもした。
バイト雑誌で給料の良い仕事を見つけて面接に行くと「裏カジノの店長」の仕事だったりして震え上がったなんてこともあったり笑。

このフリーター時代が3年ほど続いた。
保険証も持ってなかったから病院にもいけないので、自転車に乗る時も安全運転を心掛けていたような気がしないでもない笑。
性根がだらしないので言うほど節約もしてないのだが300万円くらいは貯まったと思う。(それが多いか少ないかは分からないけど)

色々な経験が出来た事で勉強になったと思う。
この頃の経験があることで色々な立場からものを見ることが出来る様になったし自分の幅も広がった部分もある。
しかし、どこに行っても心が満たされることは無かったし、ぬぐいようのない違和感があった。
その違和感の正体はきっと会社を辞めることになった理由と同じなんだろうけど、まだその正体もつかめていなかった。
「自分で商売をしたい」という思いはずっと漠然としたままで一向に具体的な形になる気配すらない。

「俺は一体どこに行くんだろう」

そんな中ある転機が。

諸事情あって実家の家業を手伝いに北九州市に戻ることになったのだ。

実家で色々あったので助けになればという気持ちと、大阪で行き場を無くした自分の逃げ道として利用したという気持ち。
どちらも両方あったのかも知れない。

とにもかくにも、こうして大阪を後にして北九州に戻ってきた。
この時志士は27歳。
「北九州の醬油ラーメン らーめん志士」が誕生するのはまだ10年以上後の話である・・


(余談ですが・・北九州に戻ってくるタイミングで女将と結婚致しました笑。
 こんな野良犬時代を一緒に過ごしてくれた女将に感謝です。)


第二話 ラーメン屋になろう に続く


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